追悼マイケル・ジャクソン-6 ムーンウォークとは?

ベストヒットUSAマイケル・ジャクソン特集の、『オフ・ザ・ウォール』1年前のジャクソン5のMTVはよかった!
子ども時代のおもかげある、自然な顔だちのマイケル。でも踊りっぷり、歌いっぷりは、すでに独自のスタイルになってて。陰では、つらいこといっぱいあったろうに、なんて楽しげに歌い、踊ることか。
わくわくときめきつつ、胸が痛くなった。もし、このままの姿で、年齢を重ねたら、父親になってたら・・どうしてもそう思っちゃうわな。
 
で、その『ベストヒットUSA』で、小林克也ムーンウォークの起源について話してた。
もっとくわしく知りたくなってネット検索したが、ウィキペディアも、はてなキーワードも、マイケルのことしか書いてない。(もしかしてムーンウォークって呼び方が、マイケル独自のものなのか?)
マイケル全盛期は、ムーンウォークのやり方、雑誌に載ってた。それ見てやってみたことある世代〜♪(^_^)/
 
それはともかく、覚えてることだけ書いとこう。
ムーンウォークの起源は、あのパントマイムの大家マルセル・マルソーあたりが始めたそうです。
そしてキャブ・キャロウェイも、ステージでやってたんだと!見てみたい!(映画『ブルース・ブラザース』で『ミニー・ザ・ムーチャー』歌ってた人♪『コットン・クラブ』ではそっくりさん出てましたね♪)
 
TVでムーンウォークを披露したのは、シャラマーのジェフリー・ダニエル。(シャラマーって、たしか『フットルース』で『ダンシング・イン・ザ・シーツ』歌ってたグループだよね?)
マイケルはこの人に、いくらかお金払ってムーンウォークを教わったと。10分ぐらいでカンペキに覚えちゃって、その時すでにあの、マイケル独自の動きになってたそうな・・。
 
マイケルの尊敬する、あのフレッド・アステアも、ムーンウォークを踊りに取り入れてたそうです。
有名なモータウンの音楽祭、『ビリー・ジーン』でマイケルがムーンウォークを初披露したあと、アステアが電話かけてきて、
「すばらしい踊りだった。でもマイケル、きみの脚は、ずいぶん怒ってるんだねえ」
って言ったってのは、すごい眼力だと思う・・。
 
自分で思ってたより、マイケルについては、書きたいことがつぎつぎ出てくるなぁ・・。追悼特集のつもりだったけど、もうちょっと続けます。

お帰りなさいNCIS♪ シーズン4開始!

いきなしジヴァ、ド派手なカーチェイス&爆破シーンで登場。ジヴァに殺人疑惑がかかり、天敵・FBIとモサドがからむ大騒動に発展。
ジヴァ、アビーを通じて、メキシコでセミリタイア中のギヴ様に助けを求める。
満を持して、ギヴ様、再登場・・。
 
・・・・・・・太ったな(^_^;A
ほっぺ、むちむち☆ いくらヒゲ面にしたって、隠しきれんほどに。
長めの髪(といってもギヴ様、いつも軍隊式に刈り上げてたので、いまがふつうの長さなんだが)姿は悪くないが。
トニーの「まるで海賊」というのは、ちと大げさだが。
 
今のギヴ様、以前の細身・細おもて・短髪のシャープな印象とは別の魅力と呼ぶには、板についてない感。
正直いって、以前の方が魅力的だった・・(_ _)〜☆
 
それはさておき。
ジヴァが追いつめられ、黒幕との格闘。相手が強いのか、殴る蹴るの暴行うけて床にころがる。ジヴァ、危うし!?
 
・・と思ったら・・
「ジヴァ、可愛い!」と思わず口走るような結末。いい脚本だ!
ほんっとジヴァは、最初はチームから浮いてる感があり、とくにダッキー先生のウンチクをさえぎって自分が喋る、無礼な態度が気に障ったけど。
めきめき、音立てるよーに可愛くなってくな〜(^m^)゛
 
『NCIS』はシーズン当初、女性キャラがいまいち(※アビー除く)だったが、シーズン追うごとに充実してきてて、たのもしい。
所長とギヴ様の、いかにもむかし深い仲だった大人の男女のフンイキもいいしな〜♪
 
疾走感あるテンポの速さ、展開説明の手ぎわよさ、カメラワークの切れ味よさは健在。よしよし、『NCIS』が私の毎日に帰ってきたぞ、と♪
(今回ダッキー先生の出番が少ないのは口惜しいが、ま、これからに期待か)・・だから。
 
ダイエットしてよ、ギヴ様〜:o(>_<。)

追悼マイケル・ジャクソン-5 そして最後はやはりビリー・ジーン

マイケル死すの一報を聞いて、いちばん見たくなったMTVは、『セイ・セイ・セイ』と『ビリー・ジーン』だった。
『セイ・セイ・セイ』は西部開拓時代、P・マッカートニーとのカラミが楽しくて、大好きだった。マイケルもいちばん楽しげだったMTVだし。
でも、今見たらミンストレル・ショー(ピエロみたいな扮装で踊る)シーンが、やや引っかかる。ミンストレル・ショーって明らかに黒人をからかった内容が多かったはずだからね。マイケル、内心どんな気分で、あのシーンを演じてたのか・・。
 
『ビリー・ジーン』は英国人が撮ったMTVだそうで、そのせいか、他のどのMTVともイメージがちがう。
『スリラー』『BAD』『BEAT IT』『スムース・クリミナル』『ブラック&ホワイト』、どれ見ても必ず群舞が入ってるのに、『ビリー・ジーン』だけはたしか、終始、マイケル独りで踊ってた。マイケルの、等身大の孤独さが出てて、あれはよかった。曲の内容も、背伸びして大人ぶってる男の子の唄だし。
マイケルの声の魅力は、もちろん高音も素晴らしいけど、じつは中くらいの高さの音にあると思うのね。ちょうど、この曲の歌い出しぐらいの高さの音。抑え気味の情緒も、なんともいえん。期待感でドキドキする。
  
マイケルが史上初の“ムーン・ウォーク”を披露したのも、たしか、この曲だったはず。(MTVの中に、ムーン・ウォークのシーンはなかったと思うが)
 
マイケルの追悼コンサートなんか見てると、いかにマイケルが同業者から愛されてたか、大事にされてたか判る。
才能があって、名声があって、財産があって、広大なお屋敷があって、家族があって、妻がいて、子どもがいて。
愛娘の、けんめいに気持をこらえての追悼スピーチ、素晴らしかったじゃないですか。あれほど愛されて。
なのにマイケルを思い出すとき、かれ独特の、あのどうしようもない孤独さって、いったい何だったんだろう?
 
『ビリー・ジーン』は今にして思えば、いちばんマイケルらしい曲だった・・。曲そのものも、MTVも。

追悼マイケル・ジャクソン-4 BADは壮大な失敗作。(後)

マイケル亡きあと、自分でもこんなに語りたくなるとは思わんかった。カテゴリーにマイケル立ててみました。で、前回のつづき。
 
MTV『BAD』最大の誤算.テーマ選びの失敗。
『スリラー』のテーマは恐怖、これは思想でも、感情でもなく、本能、感性、そういったもの。ブキミに作れば作るほどユーモアにも近づくという、もて遊ぶ余地のある、自在な素材。歌詞の意味なんか添え物で、理屈ぬきに、子どもでも楽しめる。芸術、美学、主張とかは必要ない。だから、よかった。
 
ところが『BAD』のテーマは「本物のワルとは?誰?どんなもの?」って、これはもう感性じゃ処理できないテーマ。はっきり思想とか、信条が必要。
なのにマイケルは、これをも感性で表現しようとしてる気がする。
『BAD』はNHK追悼特番、再放送まで追っかけて2度じっくり見たが、何度見ても見終えたあと「・・で、つまり"Who 's BAD?"の答は?」って疑問しか残んないのね。答になってない。饒舌なわりに何ひとつ語ってない印象。
なんとなく、感性での“ワル”を見せられたな〜、と思うだけ。
 
たぶんスコセッシも、この主張のなさに戸惑いつつ、とりあえず芸術的に美しい映像に徹した。手を抜かなかった。だからよけい、内容の空疎さがめだつ結果になっちゃった。
 
正直、あれほどマイケルやバックダンサーが頑張ってんのに、印象度からいうと、前半のスコセッシのモノクロ映像の方が(私の中では)僅差で勝ってんだよね・・ほぼ、互角とは思いつつも。
MTVなのに、ダンスと歌が負けてる。これを失敗作といわずして、なんとしよう?
 
でも・・失敗は失敗でも、セコいのじゃなく、壮大な失敗作ってとこが、さすがマイケル。皮肉じゃなく、そう思うよ。

追悼マイケル・ジャクソン-3 BADは壮大な失敗作。(前)

MTV『スリラー』は、チープなイメージに徹したことで、歌とダンスの素晴らしさが活きた傑作になった。チープだっただけに、越せないハードルには見えなかった。
で、マイケルはたっぷり資金と才能をつぎこみ、『BAD』でそれを越えようとした。その結果、壮大な失敗作を作っちゃった。
映像・演技・歌唱・振付、どれも水準以上なのに、きっぱり失敗作ってのも珍しい。それをもマイケル伝説の一部と呼んでいいもんかどうか?
 
で、なにが『BAD』を壮大な失敗作にしちゃったかというと・・
 
誤算その1.監督選びの失敗。
『スリラー』のJ・ランディスに対し、『BAD』はM・スコセッシ。この人はマイケルの大才能とまっこう勝負する人だったみたいね。
だから、これって、いつ、どこからMTVになるんだ?と不安になるほど、前半のモノクロ映像部分が長い。それがまた困っちゃうほど魅力的な映像で、もういいや、いっそこのまま短編映画として見ていたい、とまぢ思い始める。
そのころになって、とつじょモノクロ画面がカラーになり、後半MTVに突入。このタイミングが唐突で、前半とまるっきり水と油。前半の映像、後半の歌とダンス、両方とも素晴らしい出来なだけに、よけい見ててつらいぞ☆
スコセッシみたいな人とまっこう勝負して、力でねじふせられると思ってたとしたら、マイケルもどうかしてるよ。マイケルの才能に、素直にかしずく監督を選ぶべきだった。
 
誤算その2.遊びごころの喪失。
よりハイレベルな歌があり、歌唱力があり、ダンスがあれば、より感動の度合も大きいはずだと、マイケルは思いこんでたのではないか?その結果、『スリラー』や『セイ・セイ・セイ』のような、楽しさあふれる遊びごころを失ってしまった。
 
じっさい『スリラー』より『BAD』の方がまさってる部分もある。
マイケルの歌唱力は、明らかに上がった。演技力も上がってる。昔なじみの悪友に誘われて「Leave me alone(放っといてくれ)!」と拒むシーン、初めて色っぽいと思った。マイケルのダンスや歌はシャープすぎ、見事すぎて、色っぽいなんて感じるヒマなかったんだけど。
お顔の手直しも若干入り、美貌も増量(当社比)って感じだし。
なんで?なんで『BAD』はもっとウケない、評価されないんだ?と、たぶんマイケルは不思議に思い、ショックだったんではないか。トラウマになったかもね。
 
誤算その3.群舞の魅力不足。
『BAD』はマイケルが歌とダンスをそうとう頑張ってるし、バックダンサーもソロの部分は凄いと思うけど・・
かんじんの群舞の、振付のアイディア、まとまり、完成度は『スリラー』や『Beat it』の方が上なんだよなあ。メイク、衣装も含めて。
『スリラー』や『Beat it』の群舞は、ほんの一部だけでも振付おぼえて、いっしょに踊り出したくなる魅力があった。なぜ『BAD』にはそれがないんだろう?
 
でも、『BAD』いちばんの問題点は、じつはもっと根本的な点にある。
つまり・・そもそもの「テーマ選びの失敗」。
 
(すんまそん、時間切れ。後編につづく)

追悼マイケル・ジャクソン-2.5 マーク・レスターはビリー・ジーンか?

『BAD』の話題突入の前に・・
なんとなんと!マイケル関連のニュースにマーク・レスター登場!おかげで朝ワイドで『小さな恋のメロディ』画像が映り、朝からなつかしのジャック・ワイルド画像に見入ってしまった〜♪
 
で、内容はというと、М・レスターは「マイケルの子どもの実父はぼくだ」と名乗り出たんだと!
なんでもМ・レスターはマイケルとたいへん仲がよく(有名なマコーレー・カルキンとの交流をはじめ、子役好きのマイケルだけに、ありそうな話・・)、ある日、こんな会話がかわされたそうな。
マイケル「子どもが欲しい。でもぼくは女性恐怖症なんだ」
М・レスター「だったら、ぼくの精子を提供するよ」
で、М・レスターはそれを実行した、ってんですが。
 
・・・・ん?なんか変?論旨がおかしいよね?
女性恐怖症→友人が精子を提供って・・なんで結びつく?
 
そーいや、マイケルはあの美しい高音を保つため、いわゆる昔のカストラートみたく“去勢”されたってウワサもあったよなぁ・・σ( ’_’)
マイケルの周辺には、まだまだ謎が多いな。
 
ちなみにМ・レスターは「マイケルの財産めあてで実父だと名乗り出たのではない」そうですが・・うーむ?
私の頭ん中では、『ビリー・ジーン』の替え歌が鳴り響いてます。
 ♪マーク・レスターは、ぼくの親友
 ぼくの子どもが自分の子だと言いはる、ただの元・子役さ・・♪

追悼マイケル・ジャクソン-2 やっぱりスリラー絶品♪

マイケル・ジャクソン訃報の当日、フジTVだったか、緊急特番やってたな。追悼特番組まれる海外の大スターって、いまやマイケルくらいだろーな、と思いつつ見てた。
 
その中で放送された、大傑作MTV『スリラー』ノーカット版。きゃ〜きゃ〜大喜びしつつ、TVの前でときどき踊りながら見た。なつかし〜肩クキクキやるビートたけしダンス、かまきりダンス!
 
そして、何より、大好きなヴィンセント・プライスのナレーション!
このお人は『ナポレオン・ソロ』や『刑事コロンボ』にも出てたが、なによりハマー・プロの怪奇映画の大御所ですし。演技が大げさで、気品と貫禄あって、高尚でうさんくさくて、どんな役でもいつも楽しげに演じる人だったな〜♪
正直、『スリラー』というと私の期待度は、ナレーション40%、マイケル40%、バックダンサー20%の割合なのだな♪
 
いま見ると『スリラー』は、MTVというより、あっぱれ短編ミュージカル映画というべきか。
イマジネーションと現実がごっちゃになる、構成のうまさ。
曲とアレンジ(歌いっぷりも、もちろん!)のブキミな華やかさ。
映画館や墓場のセット、メイクや衣装の豪華さ。
なにより振付とダンサーたちの、鳥肌ものの見事さ!
 
マイケルの動きはもちろん、それについてくるバックダンサーのレベルの高さもすごい。主役マイケルはブキミさをほどよく抑えてるが、ゾンビになりきった数人は、ふわふわゆらゆらした動きが「関節、どこにあんの?」とききたくなるほど人間ばなれした動き。すげー!
 
これだけ構成よく練れてて、役者もダンサーもそろってて、ナレーションでホラー映画の歴史もふまえ、曲も振付も素晴らしいんだから、どうころんでも傑作になる。
それを大傑作にしたのは、じつはそれ以外の部分、「遊びごころ」なんだよね。 
 
監督にJ・ランディスを選んだのは、『狼男アメリカン』の経験のせいだろうけど、もしかしたら『スリラー』にあふれる遊びごころは、この人の個性なのかな、と思わなくもない。だって、ほかのマイケルのMTVにはこんなフンイキ、ないからね。
この時代のマイケル、ほんとに楽しそうだもの。だから、何度でも見たくなり、何度見ても飽きない。それが、『スリラー』を大傑作にしてる要素のひとつ。 
 
追悼番組のコメントで、誰だったか「彼はけっきょくスリラーを越えられずに自滅した」って言ってた人がいた。
たしかに・・『スリラー』は傑作だけど、越えられないほど高いハードルとは思えない。マイケルなら、もっと上があるはず。本人も、周囲も、ファンも、そう思っても不思議じゃなかった。
ところがその後、なぜかマイケルは、この遊びごころを失ってしまう。ハイレベルの力作『BAD』が『スリラー』を越えられなかったのは、ひとつには、この点にあると思うんだな。
 
で、次回『BAD』について書きます(自分にプレッシャーがけ☆)