いや〜、これは・・泣けたわ〜。
ストーリーを一言でいうなら、熱帯魚の子どもが人間にさらわれ、それを父親が助けにゆく、って話なんだけど。これが父1匹、子1匹の父子家庭とくるからなあ・・。
 
開巻そうそう、タマゴを前にして、子どもたちの名前を考えてる、熱帯魚カクレクマノミの夫婦。タマゴが400個もあるので、「1匹だけニモって名前にして、あとはぜんぶおなじ名前にしよう」とかなんとか話してる。
ところが、そこへ天敵・バラクーダがおそってくる。けんめいに妻子を守って闘う父親だけど、岩に体をたたきつけられて、気絶。
意識をとりもどした時には、妻のすがたも、あんなにあったタマゴも1つ残らず、どこにも見あたらない。必死であたりを泳ぎまわった父親、たった1粒、のこされたタマゴを見つける。孵化直前ですきとおったタマゴの中では、眼ばっかり大きな、生まれる直前の稚魚が、ぷるぷるふるえてる。この可愛いこと、愛しいこと・・。
父親は誓う。「お前をニモと名づける。お前を、二度と危険な目に合わせない。パパが守ってやるからな」と。・・ここで、ゆらゆらと『ファインディング・ニモ』のタイトル。
タイトル前に、すでに場内からすすり泣きが聞こえる映画なんて、はじめてだ・・。あたしも泣いた(;_;)
 
見てるうちに、中原中也に、こんな詩があったのを思い出した。
 
 雨に 風に 嵐にあてず 育てばや めぐしき吾子(あこ)よ
 育てばや めぐしき吾子よ 育てばや あゝ いかにせむ
 
雨にも、風にも、嵐にもあわず、育ってくれたらなあ、愛しいわが子よ。ああ、どうしたらいいんだろう? ・・泣くな、っていうほうが無理ですって(T_T)
 
約束どおり、父親はニモに愛をそそぐが、そそぎすぎて過保護になってしまう。ニモは、生まれつき片方の胸ヒレが小さかったりする。これは、よけい父親が過保護になってしまう原因であるとともに、ニモと父親の外見の見分けをつけやすくする、うまい設定だった。
ニモは反発し、「危険だから行っちゃだめだ」との父親の声にわざとさからい、人間に近づきすぎて、つかまえられてしまう・・。
 
そして父親は、ニモを連れ去った人間が落としてった潜水メガネに書かれた住所から、息子を助けに、はるばる2千キロを旅してゆく。
道中、連れになったメス魚(というのか?)ドリーとの、淡いロマンスのおまけつき。途中、ニモがすでに死んでしまったと思いこんだ父親の、ドリーへの別れのことばがまた泣かせる。
(ドリーは異様なほど忘れっぽい性格、という伏線をさんざ見せておいて)
「お願い・・あたし、あなたのことだけは忘れたくないの」
「ごめんよ。おれは、忘れたいんだ」
く〜っ、ハードボイルドなセリフじゃないか!
 
・・とはいえ、まあ、子ども向けのアニメ映画だし、結末はもちろんハッピー・エンド。
熱帯魚の小ささと、海のせつないほどの広さの実感は、もうひとつかな。クジラの巨大さはすごい迫力だったが・・とか。
内容もキャラも満載すぎて、ややめまぐるしい。いい映画見たっていうより、面白いアトラクションに乗ったって余韻かな、とか。いろいろ言いたいことはあったりするが・・。
 
それでも、なんともいえず、いとおしい映画。
これはむしろ、子どもの立場から見るより、子どもをもった親の立場で見て、より泣ける映画かもしれない。父親とドリーとのロマンスといい、やや大人寄りかなって気は、しなくもない。(それでも、小学生の甥っ子やメイっ子は見て喜んでたそうだから、いいのかもしれんが・・)
この映画の制作会社・ピクサーのスタッフの1人が、べつのスタッフに「うちの会社、初の失敗作になったらゴメン」なんて言ってたらしいのは、このせいかな? あたしは、支持するけどな。
 
・・正直、あたしには、心配しすぎて過保護になってしまう親の気持も、反発したくなる息子の気持も、どっちも判る。
はるばる旅してきたのに、まにあわず、息子を死なせてしまった、とうとう家族すべてを失ったと思いこんだ父親の孤独。かれに寄り添おうとして拒絶されるドリーの孤独も、ヒヤリとするほど身に沁みた。
さらには、クライマックスで網につかまった魚たちが逃げ出そうとするシーンで、せっかくの獲物に逃げられてしまう漁師さんたちの悲しみまで、感じてしまった。
すでに大人で、いろんなものが見えれば見えるほど、より泣けるって映画だよ、これは。
 
ラセター(=ピクサーの社長)作品は、『トイ・ストーリー』シリーズその他でも、世間が見えた大人の苦味が、いつも一滴、残る。これは、かの宮崎駿にも、他のだれにもない、かれ独特の美点と思う。
ラスト、ほのぼの笑いをさそうエピソードと、エンディングのタイトルバックが、またいい。これから見る人がいるかもしれんからくわしくは書かないが、観客が見たいと思ったもの、すべてに応えてくれる快感がある。
劇場を出たころになって、エンディングの曲が、トレネのシャンソン『ラ・メール』(=フランス語で“海”のこと)の、英語バージョンであると気づいた。
ハミングしながら、冬の星空の下、家路についた。
 
追伸:水曜レディス・デーに行ったら行列だったので、少しでもすいてたらと思い、私は字幕版で見た。でもセリフも多く、テンポも早くて字幕を読みつつ絵を見るのはけっこう大変だったので、日本語ふきかえ版のほうがいいかも。ふきかえはなかなか上手だそうです。