アテネ五輪代表選考会「体重別選手権」で、井上くんは、ちょっとみょうな歩きかたをしてた。試合場への数段の階段をのぼるのさえ、ヒザを曲げるのもつらそうな感じで。
じつは練習中、150kgもの相手にヒザに乗られて靭帯が伸びきってしまい、おすもうさん専門の整体師にかよって治療してたらしい。しかしそっちの脚をかばってるうちに、反対の脚まで痛めてしまい、この試合のときには両脚ボロボロだったとか。
それでも優勝してのけたのはさすがだったけど、なんだか、あの大会でなにかを使いきってしまったようにも、見えた。
 
アテネ五輪の井上くんの動きも、あきらかに変だった。それどころかシロート目にも、むりやり得意ワザの内掛けにこだわりすぎ、墓穴を掘ってるのが、見えてしまってた。
たぶん試合直後に「じつはケガしてたので・・」なんて弁解めいたことは言わないこと、って、しつけられてるんだと思う。おなじ大会で、指を痛めてて準決勝で敗れた鈴木くんもそうだったけど。
アテネの試合場にあお向けに倒され、天井を見上げてた井上くん。
有名になり、期待され、勝って当然といわれる。栄光の一瞬を期待される場は、同時に、負けてしまえば、世界中の注目の前にきわだってみじめなすがたを晒すことでもあるってことを、見ていてあのときほど感じたことは、なかった。
あのアテネの試合場の天井に、かれは、何を見たんだろう。
「負けてこそ、見えてくるものもある」ってことばに、少し救いを感じた。
 
そりゃ、井上くんまさかの敗戦におどろきはしたけど、嘆きとか、悲しさとかは、感じなかったな。むしろ、ああまた新しい伝説が始まるらしい、人より高く跳ぶためには、うんと低く身をかがめなくちゃならんものなのね、と思っただけ。
これで終るような人じゃないもの。あの金メダリストの鈴木桂治くんが「ぼくの金メダルは、井上さんなんです。あの人が階級変えるなら、ぼくも変えて、ついていく」って言ってたような人だもの。
井上くんはいま、なにも語らないけど、じつはアテネで何があったか、いつか語ってくれる日も、来るだろう。再起を信ず。
 
・・以上、やっとやっと、アテネ五輪について書きたかったこと、すべて書いた・・。