Dr.マーク・スローン/薄氷の女王−2

フィギュアスケートを習ってたという黒人女医アマンダは、たしかにこの順で、名前をあげた。
「ドロシー・ハミル、ペギー・フレミング、タイ・バビロニア・・」
年代からいうと、じつはペギー・フレミングがいちばん古い時代の人。
おもな戦績は、以下のとおり。(ちなみにすべて米国選手)
 
☆ペギー・フレミング(女子シングル)
65 世界選 3位
66〜68 世界選 3連覇
68 グルノーブル冬季五輪 金
 
☆ドロシー・ハミル(女子シングル)
74〜75 世界選 2位
76 世界選 優勝
76 インスブルック冬季五輪 金
※「3回転を跳ばない最後の選手」とよばれた。
 
☆タイ・バビロニア(ペアの女子選手。バビロニア&ガードナー)
77〜78 世界選 3位
79 世界選 優勝
 
60年代半ば〜70年代の女子選手の、キラ星のような戦歴が出てきた。
このデータから、アマンダがフィギュアスケートを習ってたという、6〜13歳の7年間がいつごろか、推理してみよう。
たぶん、70年代だろう。まっさきにドロシー・ハミルの名が出たし。
 
60年代ではないと思う。ペギー・フレミングが優勝した68年グルノーブルは、あのジャネット・リンが人気をよんだ札幌の、1つ前の回。
同年のメキシコ五輪(※むかし夏・冬五輪はおなじ年開催だった)、陸上で金・銅を獲得した黒人選手たちは、表彰台の上で国歌演奏のあいだ下を向き、黒い手袋をした腕をつきあげ、差別への抗議をしめした。ちなみにこの年は、あのキング牧師が暗殺された年でもある。
そんな60年代に、黒人の少女が、リンクに入れたろうか?
 
では、80年代はどうか。
80年代に入ると、フラチアーニ、ザヤックなど、あらたな女子選手が台頭してくる。とくにフラチアーニは、米国で80年に開催されたレイクプラシッド冬季五輪の銀メダリスト。この時期にスケート習ってたなら、名前が出ないはずはない。
さらに80年代後半になると、デビー・トーマスっていう黒人スケーターが登場する。86世界選優勝、88年カルガリ冬季五輪の銅メダリスト。スケートやめて、医学の道に進んだ人。おなじく黒人で、女医であるアマンダが、話題にしないはずがない。
デビー・トーマスは、黒人初の、全米選手権の優勝者でもある。(さらに、フランスの黒人選手スルヤ・ボナリーが活躍するのは、90年代に入ってから)
ついでに書くと、陸上でも、84年ロス五輪優勝の黒人選手カール・ルイスは、くったくなく星条旗を手に、ウイニング・ランをしてみせた。20年間でこれだけの変化が、米国にはあったんだなあ・・。
 
以上の理由から、アマンダが「6〜13歳までスケート習ってた」のは、70年代と断言してよいと思う。じつはもうちょっと正確に年代が推理できるデータがあるが、それはドラマの内容と関係してくるんで、またのちほど。
(つづく)