や〜楽天は、眼の離せないチームになってきたな〜。
2ケタ連敗、勝率2割以下、それがどうした?
長年の野球ファンは、もっとドロドロの泥沼連敗を、いくらも見てきた。この程度で“泥沼”なんて泣きごと言うのは、早すぎる。
 
監督が、田尾っていうあたりがまた、劇的要素。
選手時代の田尾について、“江夏の21球”の、かの山際淳司さんが語ってた。*1
「田尾はたいていのことを、その笑顔のなかに包みこんでしまう」と。
「ぼくは野球が好きで好きでしょうがない。野球をやってれば、どんなことでも楽しい」・・と。これは田尾自身のことば。
だったら、いまの状態も楽しいはず。でしょ?
 
現役時代の田尾は、タイトル奪取への小細工も、執念も、こだわりもない“爽やかくん”だった。
シーズンオフには、プロ並みの美声で、歌までこなした。
いわゆる正月の野球選手の歌番組、布施明のギターで『シクラメンのかほり』歌ったときは、本職の布施明がかすんで見えるほどだった。忘れられない。
 
真新しい臙脂のユニフォームが、だれよりも似合う田尾カントクは、女性ファンもひっぱりこめそう。
まるで齢を感じさせない若々しさには、フジTV『すぽると』コメンテーター時代から、驚いてた。
じっさい、いわゆる“判官ビイキ”ってのを、田尾監督には、わが日本人の遺伝子がびんびん感じる。義経ブームの年にふさわしいんでは♪
 
うぶ声をあげたばっかの頃の、西武ライオンズを思い出すぜ。(ネモト監督時代、かのチームがどんな試合っぷりだったかは、いしいひさいちがんばれタブチくん』が牧歌的に語ってた)
高く跳ぶには、かがんだ姿勢の助走も長くなくてはならんのよ。
いつの日か楽天が強くなったとき、「あのチームも発足当時はひどい連敗っぷりでね〜」と語るのが、楽しみだ。そういう、伝説のはじまり。長い眼で見守ろう。
楽天」・・このチーム名に、田尾ほどふさわしい人もないだろう。たぶん。
 

*1:ブルータス連載「山際淳司のウルトラ・カクテル光線〜a Touch of Glory〜」の『田尾安志「空振り事件」のあとの隠されたスマイル』。この連載をまとめた角川文庫『エンドレス・サマー』には、なぜか載ってない。ここは83年2/15号ブルータス誌を見ながら書いた。