ヤグについて、さらに気がすむまで語ろう。

ヤグがとても心をこめて、ていねいに滑ってたことは、
TVでも、じゅうぶん判りました。
中盤、投げキスのあたりは、とくに胸が痛いほどに。
 
ですが、ていねいに滑れば滑るほど、私にはつらかった。
なぜなら。
  
ソルトレイクでの「仮面」は、序盤、最初のジャンプ前に、
鉄の仮面の肌ざわり、それゆえの無表情、
冷たくそびえる高い石壁、ひえびえしたバスチーユ牢獄の
空気まで感じさせるものでした。
 
中盤、救いの訪れ。音楽の変化とともに、表情の変化。
明るい光が射しこんできたような。花の香りでも漂ってきそうな。
終盤、剣戟の場。チャリーンと剣を合わせる音まで聞こえそうな。
 
ヤグディンという稀代のフィギュアスケーターを見ると同時に、
「捕われの王子」という“入魂の役柄”が、そこにありました。
 
滑り終えた直後、ヤグディンはきっと、自分でも驚いてた。
うまく滑りたい一心で精進してきたけれど、
まさかこんな高みまで来られるとは思わなかった、と・・。
 
たしかにソルトレイクでの「仮面」は、奇跡だった。
五輪での感動的な演技は数あれど、アイスダンスで、いまだにトービル&ディーン『ボレロ』を超えるほどの伝説が生まれないのと同じように。
(芸術点で満点を獲得、という事実も素晴しいけど、数字上の凄さなんてのは、感動のほんの一部にしかすぎません)
 
まえにも書いたが、ソルトレイクでのヤグディン
「100年に一度の選手の、100年に一度の瞬間」だった。
ふつうの人間は、たぶん一生に一度しか、目撃することが許されない。あれは、それほどのものだった。
 
ジャパン・オープンでの「仮面」は、どうしても「ていねいに滑るヤグ」の姿しか私には見えなくて、それ以外のものではなかった。彼が心をこめ、ていねいに滑るほどに、それしか見えてこなかった。
 
あれほど私を魅了した「捕われの王子」はもう、どこにもいない。
それを痛感したからこそ、哀しかった。
ヤグディンという選手を好きだ、という気持と、それは別物です。
(その3.につづく)