第1回〜最終回まで、すべて見届けた感想。

オライリー兄弟に刺激されて読みはじめた、シバリョー『愛蘭土紀行』全2巻も、ほぼ同時に読み終えた。だからいま、すごい虚脱感。
以前見た時は途中からだったんで、最終回は2度めだが、今回は、第1回からすべてを見届けた。
 
作り手としては、絶対にもう、こんりんざい続編はゴメンだ。そう言わんばかりの最終回。アデビシも、サイードも、シリンガーも、ケラーも、グリーン所長もいない『OZ』じゃな〜。
 
すべて見終えたいま、あらためて思う。
シリル・オライリーの死刑は、「当然」とは思わないが「仕方ない」と。
とはいえ、最終回のシリルの死刑場面は、やはり目をそむけた。わざとらしくて嫌いだ、あの演出・・☆
 
ボクシングの試合での相手の死はともかく、
(ちなみにこの設定は、映画『静かなる男』へのオマージュ。「アイルランド・ボクシング・対戦相手の死」ときたら、すぐピンと来なきゃいけなかったな・・ →くわしくはこちら
さいしょに殺した相手については、罪悪感あったんだもの。
だからこそシリルは、悪夢に苦しんだ。
 
その殺人を弟シリルに命じ、自分と同じ刑務所・OZに呼び寄せた時点で、ライアン兄は弟の運命を決めてしまったといっていい。
 
そのライアン兄は、結局、その夫を殺してまで手に入れたかった女・グロリアと愛し合う。憎み合ってた父親とは和解。つまり、愛する女、血のつながった父・母、すべて手に入れる。
だけど、最愛の弟だけは、救えない。
 
ライアン兄にとって、これ以上の“刑罰”はないと思う。
弟シリルにとって、ある意味、死は“救い”だと思うが。
ライアン兄がそれを納得できる日は、たぶん永遠に来ない。それが、刑罰。
 
『OZ』は、ひとつの“体験”だったと思う。
これは、ワーグナーのオペラについて言われるたとえだが・・
「若すぎれば、体力はあるが、理解がおよばない。
齢をとりすぎてれば、より理解は出来るが、体力がおよばない」
 
若いころに見たら、残酷シーンに圧倒されて他が見えず、利害・人種のからむ、あの複雑な人間関係が理解できたかどうか。
また老年に入ってから見たら、アタマで理解はできても、脂っこすぎて、ついてく元気がなかったと思う。
思えば私は、ちょうどいい時期に『OZ』という貴重な“体験”をすることが出来た。神様に感謝!
 
追伸:
別ブログに『愛蘭土紀行』感想も書き終えた(TB参照)
あ〜やっとこれで気がすんだ〜\(^^)/