島田正吾が、亡くなった。享年、なんと98歳。
辰巳柳太郎とともに、新国劇の全盛期の、二枚看板。
「静の島田、動の辰巳」「柔の島田、剛の辰巳」・・かの池波正太郎の『仕掛人梅安』(念のため・・あの“必殺”シリーズの原形です)は、この2人をイメージして書かれたといわれる、伝説の名役者。
 
NHK朝ドラ『ひらり』に出てたそうだけど、私は朝ドラはほとんど見ないので、これは知らない。私がおぼえてるのはNHK金曜時代劇『十時半睡(ととき・はんすい)事件帖』。調べてみたら’94年というから、もう10年も前になるのか・・σ( ’_’)
さすがに、おみ足は弱ってたようで、畳の座敷に椅子をおいてすわってた。が、背すじはピンと伸び、声をはりあげる場面では凛として、素敵なおじいさんだなあ、と思ってた。このドラマの最終回は、息子夫婦に初孫ができたって知らせをうけたかれが、赤ん坊の人形を抱き上げ、お尻をぽんぽん叩きながら、うれしそうに唄う場面で終ったっけ。
ギリギリ間に合ったんだなあ・・この人を私は見た、って言える世代に。いつか下の世代に言ってやるんだ、島田正吾って大役者を知ってるかね、私は見たよ、おぼえてるよ、って。
 
10数年前、年配の友人から、島田正吾ひとり芝居『白野弁十郎』見てきたよ、という手紙をもらった。
(※『白野弁十郎』・・エドモン=ロスタン作の戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』を時代劇に翻案したもの。新国劇創立者であり、島田さんの師である沢田正二郎も得意にした演目。新国劇なきあと、島田さんは年に1回だけ、新国劇の代表作を、ひとり芝居で演じつづけた。『白野』はその“ひとり芝居”第1回の演目でもあり、そのときの会場は長女の家だったという)
島田さんの訃報をきき、その手紙をさがし出し、読みかえしてみた。すごい内容だった。私ひとりで読んでちゃもったいないので、ちょっとだけ文章変えて、ご紹介。
 
『84歳の島田のささやき声まできこえる、ちいさなコヤ(銀座小劇場)。
その場内をうめつくすのは、壮年から、老年までの、男、男、男。
もはや映画館へも、歌舞伎座へも足を運ばぬ世代、かれらの思い。消滅した新国劇への思い。
役者も、客も、演じられた物語も、敗けを承知の、男の美学。
照明担当は、なんと沢田正二郎の初演のときの照明さん、92歳! これには、ホント参ったよ。大柄で、素敵なかたでした。』
 
ちなみに新国劇は、男くさい時代劇を得意とし、芝居に“女の時代”が来たため衰退し消滅した、といわれる。これだけ言いそえれば、じゅうぶんだろう。
貴重な、貴重な舞台。そして、それを観た生き証人から、こんな貴重な証言を手紙で知らせてもらえた、幸運を思う。
訃報を聞いた直後は、大往生じゃないか、さいごまでつぎの芝居のことだけ考えつづけてた、最高の人生じゃないか、と思った。けど、なんだかいまごろになって泣けてきたので、このへんにて。